角川武蔵野ミュージアム

東所沢駅を出て、郊外の住宅地を歩いていくと、家かげの奥に巨大な石の塊が立ち現れる。それは、宇宙から隕石が落ちてきたかのような、重みを感じるある塊である。事前に写真で見たり、聞いた話から想像していた大きさをはるかに超えるような迫力のある物質感であった。

圧倒的なスケール感を持ち、住宅街の中に佇む様子は、日本ではない場所に来たかのような錯覚すらも覚える。外観には窓が一つも空いていないことも、このスケール感を狂わせている一因かもしれない。普段、生活していく中で、窓は建物の大体の大きさを教えてくれる。しかし、この角川武蔵野ミュージアムでは、その糸口となる開口は見当たらない。人の出入りのための開口は小さく、奥まった場所にあけられている。

それぞれ石板は、隣り合わせになる石版とは異なる色合い、凸凹具合をしている。そのため、遠くで見た時は、一つの大きな塊であったものが、近づくことでそれぞれがバラバラなものに見えてくる。また、折り紙を折るように面に角度がつくことで、光の当たり具合が、面によってかなり違ってくる。つるつるした面の横に、ぼこぼこした面が隣り合うように。

こうやって、よく注視していくと塊というより、一つ一つの石版が自立したものに、あるいは、面として独立したものに見えてくる。遠くで見た時に最初に感じた印象とはだいぶ違うものになっている。

この建築が、他の隈建築と違うのは、それぞれの石版の自立具合だと思う。石の美術館の石のルーバーにしても、杭州の瓦を用いた美術館にしても、あるいはドーナツ屋の竹かごにしても、反復された物は、それぞれ同じ物を用いていた。それが、この所沢では、それぞれがはっきりと違うものを、繰り返すことで一つの建築を作り上げていた。

『点・線・面』の中で、建築を点線面に分類するのではなく、それぞれが、振動であって、分類することができないことを明らかにしたいと言っていた。点であると同時に面になったり、面であると同時に点であったりする。そうした考えがこの建築では、良く表れているようだった。

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