今回は「コンクリートから木へ」をテーマに隈先生の学部時代の先生である内田先生と深尾先生を招いての講義でした。
はじめは毎回と同様にゲストで来てくださった方の講義で、内田祥哉先生による様式の歴史を追った内容のものでした。
1950年の谷口吉郎の木造の慶應病院に対して、前川國男や丹下健三のコンクリートという構図があり、国立西洋美術館などのコンクリート建築ができ、都市不燃化が急速に進んだ話。渋谷駅、東京駅などの都市部ではコンクリート化が進む一方で、中央線沿線では木造建築が大量に生産された話。そんな時代に伊勢湾台風が発生し、木場に貯められた大量の木材による被害があったり、1959年の学会大会で木造禁止決議が全会一致で通ったことなど、そのどれもを実際に体験してる内田先生を通して語られることでリアリティが直に伝わってきました。
木造建築について継手のディテールから大きな話、時代変化まで多岐に話が及んで内容がひたすら濃かったです。
三先生による対談形式の前に、内田先生のレクチャーに対しての深尾先生のコメント。(コメントとは言えないほどの深い話でしたが笑)。内田先生と一緒に仕事をすることが多いが、反論をすることはほとんど無いそう。「木造の終焉は近い、木造という概念の終焉は近い。」と深尾先生が語られ、組積造といってもほとんどが混構造でノートルダムでも天井や床に木が使われるなどハイブリッドな構造で、RCが普及する前などは”木造”という言葉はなく、至る所に使われていたことにふれ、木はよりいろんな構造と使われる可能性があるといいます。隈先生の檮原にある雲の上ギャラリーの柱は鉄骨造を木で挟んでいる例も出され、話は主構造とサブ構造の話になりました。
“民主主義”という言葉を使い部品同士の関係性の話になり、ヨーロッパでいう民主主義はグルーピングがある民主主義で、それに対して、日本でいう民主主義は自分と他人は別の全て分かれる民主主義という話。隈先生の建築はそれぞれの部品を等しく扱い、グルーピングしないことにも触れられました。
隈先生の建築にも多く触れられ、小径木の話になり、小さな部材を組み合わせて全体を組み合わせて作ってるのが日本の木造建築であり、その転機は桂離宮が柱を4寸に抑えたことであるといいます。
新国立競技場では、大庇の中の高い位置にあり、雨に濡れる場所にはアルミに木目をプリントする技術が使われ、交換回数を抑えている話や全体的に47都道府県のスギを利用しているが沖縄にはスギがなくリュウキュウマツを利用してる話など、裏話も聞くことができ面白かったです。
木には隙間が必ずうまれ、その隙間の扱い方にも触れられました。オープンジョイント工法のように意図的に作る隙間についての話にもなりました。ちょっと隙間が生まれるよりは、隙間だらけの方が気にならなくなると内田先生は言います。
内田先生の3cm角のバルサで継手を作る課題では、そこで生まれた河合継手は大学の授業で行ったものが先人を超えた例で、海外でも大きく取り上げられたといいます。
また素材の話では、鉄だと弱いところが壊れてしまうけど、木だと一箇所に集中せず、変形することで強くなり、これは金属にはない木の大きい特徴だといいます。木のもつ柔らかさ、柔軟性、めり込みを考えたのは内田先生が初めだと隈先生が強調されていました。
太宰府のスターバックス、イタリアでのパビリオン、GC プロソミュージアム・リサーチセンターなど多くの隈先生の実作を交えて話され、こんなにも多岐に渡る話を実作で話せるのは、多数の作品を作ってきた隈先生だからこそできることだと思います。
毎回の講義で、色んな分野の専門の方が来ても話が尽きないことは多くのプロジェクトをおこなってる隈先生だからこそできるものだと思います。次回は少し時間が空きますがとても楽しみで待ち遠しいです。
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