緊急事態宣言は解除されたが、どうしても不自由な日常はなかなか変わらない。オンライン上で仕事をする生活に移っていくのかもしれないが、まだそれを支える設備が追い付いていないなと思う。そう思う一番の要因が図書館なわけで中々に苦しい。もうそろそろ図書館は使うことが出来てもいいんじゃないかとは思うけれど、それもいまだに叶っていない。あの図書館にいれば、幾らでも読みたい本に気軽にたどり着ける日に早く戻ってほしいと切に思う。
ここまで図書館に行きたいというのも論文や設計をするにあたって、どうしても青木淳さんの「原っぱと遊園地」を読みたかったからで、結局amazonで取り寄せることになった。学部の設計課題の時も何回か読んでいる本なのだが、時がたって、卒業設計を終えてから読むとまた見え方が変わってくる。青木淳さんの初期の住宅設計を通じて模索している感じと、自分が設計している時に考えたことを照らし合わせてみると全然違うのだが、どこか共通する部分も出てくる。
修士の課題で大宮前体育館の敷地に同規模の体育館を設計するということをした経験がどこか残っていることもある。もちろん設計自体も全然に青木淳さんのようには到底うまくはいかないのだが、似たような思考をあの敷地で辿ってみることで、バラバラ感をバラバラなままつなぎとめることを考えるプロセスには納得がいった。10+1の論考で浅子さんが使った、平行世界から来た人が設計したみたいなという表現が、とても腑に落ちるような感覚が建築全体にまとわれているイメージがした。普通に設計したら、こうはならないなということが沢山あることに気づく。あとをなぞるように設計すると、ただ単に見学をし話を聞いただけでは気づかないようなことでも気づきやすくなる。
地下2層の周囲を回る回廊みたいな部分は動線なんだけれど、一部がジムとして使われていたり、体育館を作り込まない、目的地を作らないという「原っぱと遊園地」で書かれていることもかなり分かりやすく表現されている建築かなと思う。
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