現代のパンテオン 紀尾井清堂

東京の中心部、赤坂見附から少し北に行ったところにその建物は建っている。意外と事務所からも近かった。都心の一等地にありながらも、用途は未定という贅沢な使われ方である。ただ縄文について考えて欲しいという条件のもと建てられたこの建築は、まさに、現代のパンテオンたりえた建築だと思う。

赤坂見附の地下鉄を出て北側に進んで行くと、見たことのない建築が視界に入ってくる。周囲をガラスに囲まれたコンクリートのキューブはかなり異様であるし、外周部に動線がキューブから一部飛び出す様はなかなか見慣れない。

下層部は多角柱が、コンクリートキューブを支えている、まるでピロティのような半地下の空間になっている。この柱の形は、コンクリートの隅を迎えに行くように変形をしている。これは、ヴォリュームの荷重を合理的にさばくこともできているらしい。荒々しい面と形態がマッチしているように思う。

この建築のメインとなる空間は、動線が中央を駆け巡る4層の吹き抜け空間で、上部の9つのトップライトから光が注ぎ込まれている。当然、使われ方が決まっていないので什器も何も置かれていない状態ではあるのだけれど、防音がかなりされていて、都心部とは思えないような静けさのある心地よい空間になっている。

建築の設計で、用途という形態にも大きくかかわるような条件がそもそもないということは珍しい機会であった。そんな中で、この紀尾井町の敷地と、縄文について考えてほしいという条件のもと練り上げられた空間は、それにこたえる以上のものを残していると思う。今回のプロセスは、そこで何を行うかを詳細に決めてから、建築が出来上がっていく過程とは大きく違い、その敷地にあった心地よい空間を作り、空間に当てはまるように人の行為があとから決まっていく。この順序は、場所→建物→人という流れを考えると、いたってシンプルな流れでもあるように思えた。住宅を建てるなどとなると、人→場所→建物という順番になり、その人の行う行為はどの場所がよいかを決めるプロセスが生まれることになる。

今回で言えば、紀尾井町という場所が決まっているのだから、スタートは場所からはじまることになる。場所の次に、紀尾井町というこの土地に適した機能を与えることもできるのであろうが、その機能にあった建築と、この土地にあった建築とではまた違ってくるということだと思う。建築をつくるまでのプロセスの間に、人の行為が介入しないことで、よりこの土地に根差した制約を外れた建築が建てられるのではないかと思う。こういうプロセスを踏む建築は数少ない例であると思う。この見学会はとても興味深いものだった。

(最近、また仕事が忙しくなってきそうな気配がしてきているけれど、こうやって新しい建築を見る時間が作れることは幸せだと改めておもう笑。忙しくても引き続き文章にして残していこうとおもう。)

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