隈研吾教授最終連続講義 第七回「歴史と継承」 @安田講堂

隈研吾最終連続講義の第七回。建築史家の藤森先生と政治史家の御厨先生を招いての講義。台風で2ヶ月も延期になってしまい、さらには土日ではなく平日での開催になってしまったが、それでも多くの方々で賑わっていた。平日でもこれだけ人を集める講演会を大学で行えることはあまり無いのではないだろうか。

初期の隈建築

まずはじめに、藤森先生から隈建築の変化と今の隈建築の原点の話から始まった。処女作である伊豆の風呂小屋では石山修武のような解体的なものであると評した。初期の作品として有名なM2はポストモダンの背景を投影したものであるとし、最初期の建築作品の変化を藤森先生ならではの視点で分析されていた。次に、熱海にある4室からなる宿泊施設「水/ガラス」では、鉄の要素を取ってガラスだけに純化したものであり、これらの作品には一見すると共通点が無いように見えるが、その時の前衛のものを極端にするという面で大きなブレない軸があると評した。それらの作品設計では、時に構造的な無理を克服して成し遂げてきた。ある種の試行のようなものを初期の建築作品を通して隈さんはしていたという分析がまとめられた。

こうした「試行」の時代を経て、広重美術館が今の細かい隈建築の原点であるとした。隈さん自身も原点として挙げていたが、ここで見つけた手法は今も変わらず引き継がれている。微分したものを集めていくことで一つの建築を作るというところである。

対立するもの

建築では対立するものを如何に扱うことが一つの重要な点としてある。内と外、コンクリートと鉄、自然と工業など対立物を一体化する方法をどう見つけるか。化学的にはアセトンが中和するように媒体を介すか、牛乳が分裂しないように細かい粒子の状態でいるか。隈建築は細かい状態で対立するものを一つの形にしている。

丹下健三も弥生的な建築と縄文的な建築の分裂に弁証法を用いた。対立する者同士が互いに影響を受けて違うものになる、ジグザグしながらも真っ直ぐ進むマルクス主義の影響を強く受けている。結果としては代々木のプールと小競技場のように、大きいものと小さいもの関係で、対立物を表に出さない。

政治家の家

続いて御厨貴さんから政治家の家についての話。政治家の家は、有名建築家が作った例はあまりないという、普段知ることのない話からレクチャーが始まった。中には、建築家が設計した例も以前はあり、吉田五十八が作った吉田茂邸は有名な話の一つであるらしい。それでも、匿名な設計者に依頼することが多いらしく、そこに政治と建築家の距離感が表れている。

それでも、昭和の時代は住む場所に対してのこだわりや信条は強く、中曽根総理の日の出山荘は、非日常性あふれる精神的クリニックの場として利用していた。政治家が住宅に対して関心や興味がなかったわけではなく、むしろ、欠かすことのできない場所と考えていたのではないだろうか。

竹下登も、佐藤栄作が住んでいた家を追うように引っ越しを繰り返した。一方、平成になって建築に興味のある政治家が居なくなった。これは一つの大きな時代の変化で、新国立競技場が建つまで、建築が話題になることもあまりなかった。

新国立のように国の建物を建てて話題になる機会は随分と減ったが、明治の建築家は国や大企業がパトロンになっている場合が多い。大企業の本社は日建設計が多く作ったが、それでも経営者からの要求がないなど、建築への意識があまりなかった。

政治家の家に対する意識の希薄は日本では際立つが、海外の場合だと状況は大きく異なる。中国の習近平は特に興味を持っていて、アドバイザーには精華大学の教授がついていたり、CCTVのレムコールハースの建築を名指しで批判したりするなど、建築業界に深く踏み込む。それでいて、一帯一路の政策をしながらも環境と建築保存を徹底してる。日本の場合、建築の優先順位が低いのは、政治家が出てきた歴史が浅いことが多く、2代も政治家を務めた人も少ないことが影響している。建築業界と政治の乖離はこれまで考える機会はなかった。この状況の中で、今後どういう立場に建築があるべきかを考えさせられる講義であった。

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